ビリンバウは高いか?-職人の矜持「祭具としてのビリンバウ」

「えっ、結構するんですね」

ビリンバウの値段を聞いた人が、しばしば口にする反応です。それはカポエイラを知らない人、あるいは始めて日の浅い人が感じる率直な感想なのかもしれません。

確かに棒きれにひょうたんが括りつけられただけのシンプルな出で立ちからすれば、その辺で拾ってきた材料でできそうな気がするのも無理はないですね。

しかしあなたがカポエイラの歴史、ビリンバウの役割、それが作られるプロセスを知っているカポエイリスタであって、なおそのように感じるとしたら、それはちょっと気がかりです。

バイーアのお土産屋さんには色とりどりのビリンバウが売られています。あれは観光客が家の壁に飾っておくためのもので、初めから音のことなど全く考慮されていません。とりあえずビリンバウの形をしていて見かけが美しければいいのですから、材料もそれこそその辺の棒で事足ります。節などのない、なるべくツルっとしたきれいなものが好まれます。

このようなカテゴリーのビリンバウと比較してカポエイリスタたちは、自分たちの使うビリンバウはしっかりした音の出る本物の楽器で、容姿よりも実力が大事だと言います。そこでは求める音質に対して適切な弾力のあるヴェルガ(棒)が厳選されますし、数十のカバッサ(ひょうたん)が試されて、一番ぴったりくるペアが選出されます。このように楽器として入念に作りこまれたビリンバウは、音量も音の伸びも全く別物です。ベハ・ボイ、グンガ、メジオ、ヴィオラなど、そのグループの求める高さにぴったりチューニングされてホーダに息吹を吹き込みます。

ここまでは一般的に語られるビリンバウのアマとプロの違いついての話ですが、私はそこに祭具としての役割も見るべきだと考えています。

私の所属するカポエイラ学校、アンゴレイロス・ド・インテリオールの本部の壁には「Não basta cantar, tem que convocar.(歌うだけでは足りない。呼び降ろさなければならない)」と書かれています。何を呼び降ろすのか?それは先人たちの魂ですと言うと、宗教アレルギーの日本では怪しげに思われるきらいがありますので、エネルギーといったほうが理解されやすいかもしれません。

カポエイラ・アンゴーラにおいてはアンセストラリダージ(ancestralidade:祖先)とのつながりの重要性が説かれますが、その橋渡し役として決定的に重要な役割を担うのがビリンバウなのです。私が祭具としてのビリンバウというときにイメージしているのはこの部分です。ただ音楽的にいい音が出る楽器というだけではカバーしきれない機能がそこにはあります。それはチューナーの針には表れない、多分に精神的、呪術的な要素です。

キューバに見られる、ビリンバウに似た楽弓ブルンブンバは死者とのコミュニケーションに使われたと言われていますし、アフリカのある地域では病気の治癒に楽弓のリズムと祈りが用いられることがあるそうです。

もちろんそこまではカポエイラの文脈では余談でしょうが、ホーダという祝祭の場で祭司としてのビリンバウ奏者がカポエイラの先人たちとコネクションをはかるというのは、今日の世界中のカポエイラ・アンゴーラのホーダで行われている営みです。

私がビリンバウを制作するときには、こういったことまでを心にとめながら取り組んでいます。

ブラジルで実際に自分の手に取ってヴェルガやカバッサを選ぶことから始まり、ヴェルガの削り出し、カバッサの口開けなど、一つ一つの作業に念を込めて行っています。そして仕上がったものを手に取っていただいた方に、祭具として使用してもらうに足る品質を自分自身に課しています。

飾りか楽器か祭具か。

一本のビリンバウに何を求めるかは使い手の目の高さです。その価値を脇についている数字の大小で判断するのはコスパ社会に生きる消費者のシュウセイでしょう。

翻って現実のカポエイラ世界。

世界各地のバチザードやイベントではブラジルから招聘されたメストリたちがそれぞれのビリンバウを持ってきて、思い思いの価格で販売します。もちろんそのグループの生徒たちが自分たちの先生の持ってきてくれたものを優先的に買うのは自然ですね。それが先生に対する支援・協力にもつながるわけですから。

あるいはブラジルを訪れることのできる恵まれた人たちは現地の職人たちが作るビリンバウを現地の価格で買うことができます。さらには日本の仲間の分も買ってきてあげることができるでしょう。そういうラッキーな状況にある方々はそれを活かさない手はありません。

ただ私はそこでの価格競争には参加しません。私には私のコストがありますし、自分なりの価値基準も信念もありますので、全く別の現実の中での仕事だと考えています。

というわけで、目の前のビリンバウを高いと思うか安いと思うか。それは買い手のビリンバウに対する理解度、カポエイラに対する見方、カポエイリスタとしての価値観とともに、それを制作する人間の信頼度を映す鏡であるといえます。

 

“ビリンバウは高いか?-職人の矜持「祭具としてのビリンバウ」” への 2 件のフィードバック

  1. Liberdade より:

    1カポエリスタとしてまだまだそんな境地までは行けない、でも1度で良いから何かを呼び降ろす演奏をバテリアでできたらと夢見ています。宗教アレルギー、コスパ社会など分かり易いワードでビリンバウの価値や位置づけなど理解が進みました。ありがとうございます!

    1. berimbau より:

      ありがとうございます。呼び降ろすためには、もちろん最低限の技術はあるに越したことはないですが、やはり最終的には気持ちが大事だと思います。そこは料理で一番大事なスパイスと同じです!あとはもちろんビリンバウだけで呼び降ろすものではないので、コーラスをはじめホーダ全体のエネルギーが鍵ですね。一緒に高みを目指しましょう!

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